どうもマツローです。
プロ野球の人気は近年大きく上がってきています。カープ女子の誕生などで女性も野球場に足を運ぶようになりました。近年のプロ野球のスーパースターは、ソフトバンクホークスの柳田悠岐、読売ジャイアンツの菅野智之、ヤクルトスワローズの山田哲人などでしょうか。プロ野球が始まって80年以上が経ちますがその間に数多くのスーパースターがたくさん生まれました。今回は往年のプロ野球のスーパースターについて特集します。投手、打者から各2名ずつ紹介します。
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▼往年のスーパースター 投手編
金田正一(国鉄→巨人)
日本球界唯一の400勝を挙げた日本プロ野球界のレジェンドピッチャーです。金田の記録はすさまじいものがあります。
- 通算400勝298敗(歴代最多勝利数&敗戦数)
- 通算奪三振4,490(歴代1位)
- 登板数944回(歴代3位)
- 完投数365回(歴代1位)
- 投球回5562イニング(歴代1位)
このほかにノーヒットノーランも達成しています。今後、金田の記録が抜かれることは現在の先発、中継ぎ、抑えが確立している現代野球においてないでしょう。金田にはさまざまなエピソードがありますが、長嶋茂雄のデビュー戦で4連続三振に打ち取ったことは有名です。この時三振に抑えましたが全力で恐ろしいスイングスピードで三振する長嶋を見て長嶋は球界を代表する選手になると確信したそうです。
また球速もとてつもなく速かったいう逸話があり、当時はスピードガンなどありませんでしたが、おそらく160km/hは出ていたのではないかと言われています。なお金田氏本人曰く180km/hは出ていたとのこと。
江夏豊(阪神→南海→広島→日ハム→西武)
年間401奪三振の記録が残る稀代のピッチャーが江夏豊です。江夏は通算206勝、193セーブを挙げています。もちろんこの記録はとんでもない記録ですが、江夏を語るうえで欠かせないことが2つあります。1つ目は1971年のオールスター戦での9者連続三振です。オールスターは、ピッチャーは最大3回しか投げることが出来ないので9人のバッターとしか対戦が出来ません。つまりすべて三振に切って落としたのです。2つ目は、江夏の21球です。1979年、江夏の所属する広島と近鉄の日本シリーズの最終戦の9回に江夏が投じた21球のことを江夏の21球といいます。表面的にはただの21球ですが様々な駆け引きがあり鳥肌が立ちます。(ちなみに広島はこの年初の日本一になっています。)
▼往年のスーパースター 打者編
野村克也(南海→ロッテ→西武)
みなさんご存知の「ノムさん」こと野村監督です。現役時代の野村監督はすさまじい記録を持っています。戦後初の三冠王や歴代3位のホームラン657本、歴代2位の3017試合出場、歴代1位の打数(11970)、打席(10470)の記録を持っています。ヤクルトや阪神、楽天での監督の印象が強いかもしれませんが、現役時代も往年のスーパースターにふさわしい数字を残しています。しかも守備の負担の大きいキャッチャーで達成しているところが野村監督のすごいところです。
落合博満(ロッテ→中日→巨人→日ハム)
中日の元監督である落合博満もすさまじい記録を残しています。歴代最多の三冠王3回(1982年、1985年、1986年)、通算打率.311、ホームラン510本など素晴らしい成績を収めています。落合のプロ入りは25歳とかなり遅いですがそれでこの記録を残しているのです。落合のプロ入りが遅くなった理由は日本独特の体育会の文化に慣れることが出来なかったからです。高校の野球部も何度もやめていますし進学した東洋大学でも先輩の暴力に耐えられず中退しています。昨今パワハラが問題になっていますが落合は中日監督時代にコーチたちに、選手に暴力をふるったらクビといったそうです。落合のような指導者であればパワハラは起きなさそうですね。
いかがでしたでしょうか?今回は往年のスーパースターについて紹介しました。読んでいるだけで楽しい記録が並んでいますね。今後野球を観るうえで記録に注目するのも面白いかと思います!
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