スーパキャッチャー城島健司の魅力に迫る

どうもマツローです。

2012年惜しまれながらもプロ野球界から去って行った名捕手がいます。彼の名前は城島健司、かつて福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)や阪神タイガース、メジャーリーグのシアトル・マリナーズで活躍したプロ野球選手です。

彼は九州の佐世保出身で、性格はとても実直な反面、時には乱闘騒ぎも起こすこともある少々血の気の多い選手でした。

今でもプロ野球の特番など放送されると、名捕手として名前が挙がる城島選手。彼の魅力とは何なのか。どんな野球人生を送ってきたのか、振り返ってみましょう。

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憧れの王監督の下で…プロ生活をスタート

1994年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスに1位指名され、城島選手はプロの世界へ足を踏み入れました。

城島選手は幼い頃に見た現役時代の王貞治の姿を見たことがプロ野球選手を目指すきっかけになったそうです。また中学生の頃に野球教室で王監督から指導してもらい「ぜひ巨人に入るよう」勧められました。その為、王監督への憧れはとても強く、高校卒業後は大学進学を表明していましたが、王監督がホークスの次期監督に就任するということを知りホークスへ入団することを決意したそうです。

城島選手の打撃センスは素晴らしいものがありました。高校時代から高校通算70本塁打の強打者として知られ、入団して2年間は2軍で過ごすことが多いシーズンを過ごしていましたが、プロ3年目で才能が開花。120試合に出場し133安打、本塁打は15本と「打てる捕手」として徐々に認知されていったのです。

当時打てる捕手といえばヤクルトスワローズの古田敦也選手でしたが、セ・リーグは古田、パ・リーグは城島、と打てる捕手の地位を二分するまでになりました。

古田選手は27年間プレーしていて安打数は2097、本塁打が217本であったのに対し、城島選手は日本球界では14年プレーして1406安打、本塁打244本という成績を納めているのでいかに城島選手が“打てる捕手”であったか分かります。その能力はのちにメジャーリーグでも注目されることとなるのです。

また負けん気の強さも人一倍強く、若い頃はプレーのことで王監督から厳しく叱責されることがありましたが、城島選手は試合中でもベンチ裏で王監督と口論を起こすこともあったそうです。例え相手が王監督であろうと自分の意思をぶつける精神力の強さはまさにプロ向きの性格といえるのではないでしょうか。

生まれ持った才能。記録に残る強肩

「打てる捕手」であった城島選手ですが、同時に強肩としても知られていました。

「盗塁阻止率は3割あれば良い方」という中でプロ3年目には.323の数字を叩き出していました。さらに2002年には.508という盗塁阻止率を記録し、プロの世界で活躍した捕手たちの成績の中でも数少ない5割越えを達成したのです。また2001年から2004年までの4年連続で盗塁阻止率リーグ1位を記録し、通算盗塁阻止率は.383で歴代第5位を記録しています。

肩の強さはもちろんトレーニングで鍛えることも十分にできますが、体の作りによる部分がとてもウエイトを占めている部分でありますので、城島選手はプロ野球選手、しかも捕手として活躍することを神様に約束されていたような人物であったのでしょう。

その強肩を武器にチームのピンチをたくさん救ってきましたし、晩年を過ごした阪神タイガースでは「ジョーバズーカ」という異名も付けられる程、城島選手の強肩がファンを魅了したのは間違いないです。

特に印象に残るプレーとしては「座ったまま2塁へ送球して盗塁を刺したプレー」と「飛び出した1塁ランナーを素早い送球で1塁タッチアウトにしたプレー」は今でも鮮明に覚えています。

肩の強さに加え、常にランナーの飛び出しを狙っている状況判断の速さは、野球界では城島選手だけが出来るプレーでした。

打って守って走れる“スーパーキャッチャー”へ

城島選手は2003年のシーズン前に「3割・30本塁打・30盗塁・100打点」を公言し、打って走って守れる“スーパーキャッチャー”を目指すことを宣言します。この年は前年より打撃がさらに進化し、よりルを体の方に引き付けて打つ」打法を自分のものにします。ボールを体に引き付けて打つことで、ギリギリまでボールを見極めることが可能になり、ボール球に手を出さなくなって選球眼が良くなりました。選球眼が良くなったことで、右投手が投げるアウトローのスライダー系の球に三振することが少なくなり、好球必打を徹底することで打率が向上します。

結果的に2003年は打撃タイトルこそ取れませんでしたが、
打率.33034本塁打119打点・9盗塁の大活躍で、自身初のMVPに選ばれています。

2003年から2005年にかけては安定して好成績を残し、アテネオリンピックでも4番を務めるなど、ダイエーホークス黄金時代の中心選手として君臨します。

ちなみに盗塁のイメージはあまりないかもしれませんが、相手バッテリーのモーションを盗んで盗塁することが得意な城島選手は二桁盗塁を決めた年もあり、キャリアでの通算盗塁数は79個となっています。

メジャーに挑戦した“スーパーキャッチャー!” 言葉の向こう側で

日本人は日本語を使うのは当然、ではアメリカではどうでしょう。もちろん英語を使いますよね。捕手とは投手とのコミュニケーションが重要であります。英語を喋れないというハンデがありながらも、2005年のオフに城島選手は日本人捕手として初めてアメリカ・メジャーリーグの舞台に挑戦することを表明します。

2006年にシアトル・マリナーズと契約した城島選手は、さっそく開幕戦にスタメン出場。持ち前の打撃力を生かし、なんと2打席目で本塁打を放ったのです。しかも翌日の試合でも本塁打を放つという大盤振る舞い。メジャーのファンのハートをがっちりと掴んで華々しいデビューを飾りました。その年の成績は144試合に出場、安打数も147、本塁打も18本と上々の結果を残し、メジャーでの大活躍も間違い無いだろう、そう日本のファンは確信ました。
ちなみにこの18本塁打は今年大谷選手に破られるまで、日本人ルーキーの最多本塁打記録となっていました。

メジャー2年目の2007年には強肩ぶりを発揮し盗塁阻止率は両リーグ1位の.465を記録、打撃成績も打率.287・14本塁打・61打点と捕手としては一流の結果を出しスーパーキャッチャーの片りんを見せてくれました。

しかし、城島選手と投手陣との言葉の壁は大きく、投球リードに関する考え方の違いでチーム投手陣との軋轢が生まれ、さらに追い打ちをかけるようにケガをしてしまいました。

正捕手の椅子を他の選手に奪われてしまった城島は、自分の本当にやりたいこと、つまり「正捕手として試合に出ること」を叶えるべく、契約期間を残して日本球界へ復帰を望みました。

阪神での活躍、そして引退

さて、2010年に日本球界へ舞い戻ってきた城島選手は阪神タイガースへ入団しました。帰ってきて早々ヒーローインタビューを受ける等、メジャーで鍛えた能力で阪神を勝利へ導いていきました。その年の本塁打数はなんと28本。打てる捕手、ここにありという結果をまざまざと見せつけたのです。さらに168安打を打った為、セ・リーグの捕手最多安打記録を塗り替えました。ちなみにそれまでは古田選手の164安打が最高でした。これにより城島選手は捕手として両リーグの最多安打記録保持者として、球史に名を残すことになったのです。

晩年はケガの影響で一塁手として出場しましたが、やはり城島選手は捕手一本の男。「捕手として出場できないのなら現役を続ける意味がない」と引退を決意しました。2000本安打(日米通算)まで後僅かのところでの引退にファンは涙を流しました。

城島選手の通算成績及び記録は以下のようになっています。

NPB通算 1406安打・打率.296・244本塁打・808打点

MLB通算 431安打・打率.268・48本塁打・198打点

日米通算 1837安打・打率.289・292本塁打・1006打点

MVP:1回(2003年)

ベストナイン:6回

ゴールデングラブ賞:8回

日本代表歴:
 2004年アテネオリンピック、2009年WBC

よく日本プロ野球史上最強のキャッチャーは誰かという議論になると、必ず城島選手の名前が挙げられますが、
・WBCで世界一を獲得
・MLBでレギュラーとして活躍
・通算打率296は捕手では歴代1位
という点から個人的には城島選手といってもよいのではないかと思います。

捕手一本の男、釣り人転向へ!

現在、城島選手は野球関係のお仕事をしています、と言いたいところなのですがなんと、野球関係のお仕事ではなく、趣味が高じて釣りに関するお仕事をメインで活動しています。ファンの間では漁師と呼ばれることもあり、自分の人生を謳歌しているようです。

今は釣り人として日々を楽しんでいる城島選手ですが、いずれはコーチ、そして監督となり日本球界へ復帰を果たしてくれるはずです。

「スーパーキャッチャー、城島健司」の野球理論を詰め込んだ戦いを、いつか見れることを期待しましょう。

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