どうもマツローです。
日本とアメリカ、野球のトップリーグともいえる両国で活躍した、松井秀喜選手が引退してから6年がたちます。そんな松井秀喜選手が今年、2018年度の日本野球殿堂入りを果たしました。
この吉報を受け、今年8月に「日本野球殿堂入り」を祝福するセレモニーが、ヤンキースタジアムで行われました。現在はニューヨーク・ヤンキースのGM特別アドバイザーとして、主に2A・3Aの選手に指導する毎日を送る松井選手ですが、ヤンキースタジアムで他国の殿堂入りを祝福するのは異例。そこにはヤンキースから松井選手へ、そしてヤンキースファンから松井選手への、幸せな記憶と深いリスペクトがありました。
そんな松井選手は、日本とアメリカでどのような現役生活を送ったのでしょうか。
日本での野球殿堂入りとなった節目のこの年に、松井選手の残した功績を改めて振り返ってみたいと思います。
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日本球界を代表する長距離砲
1992年ドラフト1位で読売ジャイアンツへ入団した松井選手は、1年目から1軍で起用され、高卒ルーキー新記録となる11本塁打を記録します。そして2年目より全試合に出場し、NPBでは首位打者1回・本塁打王3回・打点王3回・最高出塁率3回・MVP3回を受賞するなど、まさに“日本球界を代表する強打者”となっていきました。
中でも松井選手の未来を見据えた姿が垣間見えるのは、2001年に首位打者を受賞したときです。
このときの本塁打数は36本と前年よりやや少ない数字でしたが、首位打者としては史上3人目のフルイニング出場での受賞でした。しかし松井選手は偉大な記録にもかかわらず「首位打者を取ったけど、打撃は最後まで狂ったままだった。」と決して好調ではなかったコメントを残しています。
このコメントにもあるように、NPB時代の松井選手は本塁打に強いこだわりがありました。そして夢だったMLB挑戦を、初めて公の場で表明したのもこの年のオフでした。
松井選手の強い決意を表すかのように、翌年の2002年には史上8人目、1986年の落合博満選手以来16年ぶりとなる50本塁打を記録。
この年は本塁打王はもちろん、打点王・最高出塁率も受賞。三冠王とはなりませんでしたが、打率・本塁打・出塁率では自身最高の成績を残しました。この記録に、もう日本には松井選手を抑えられる投手はいないのではないか、そんな気持ちを抱く野球ファンも多かったのではないでしょうか。
そして松井選手は苦悩の末、海外FA権を行使し、憧れていたニューヨーク・ヤンキースへの移籍が決定しました。
勝負強い中距離打者への変化
NPBでは、ホームランバッターでありながら常に高い打率を保っていた松井選手ですが、ヤンキース1年目は打率.287・16本塁打・106打点といった成績を残します。オールスターにも選出され、日本での活躍と変わらない高い打点に勝負強さを感じますが、松井選手本人は16本塁打に終わったことを反省し、オフに肉体・打撃改造に取り組みました。
これまでNPBでは、強靭な下半身と右手首の強さで右方向への本塁打を量産していた松井選手でしたが、MLBの投手の球は重く、このままでは打球が飛ばないことを実感します。
そして当時はそれまでNPBでは多くはなかった「手元で動くボール」を投げる投手が多く、NPBにいたときのように前にポイントを持って打つと、変化についていけないことが多くなります。
そしてMLBの「外側に広いストライクゾーン」にも苦しみました。
松井選手は逆方向へ流す打撃を意識するようになり、自身致命的ともいえる“右手で引っ張ろうとする癖”を直し、左手首の強化にも取り組みます。
これは松井選手のように“右投げ左打ち”の選手によくみられるクセと言われ、結局このクセは最後まで完全には克服することはできませんでした。
速く、重く、異質の変化をするMLBの球に対応するためには、ポイント手元に寄せ、後ろ足に重心を残して、逆方向に強い打球を打てるようにする必要がある。
そんな松井選手の改革は実を結び、2年目のシーズン後半には4番打者に定着。日本人選手としては史上最多となる31本塁打を放ち、打撃成績はすべて前年度の成績を上回りました。
2003年 打率.287 16本塁打 106打点
2004年 打率.298 31本塁打 108打点
2005年 打率.305 23本塁打 116打点
2006年 打率.302 8本塁打 29打点
2007年 打率.285 25本塁打 103打点
2008年 打率.294 9本塁打 45打点
2009年 打率.275 28本塁打 90打点
夢を諦めない挑戦へ
その後、松井選手は2006年に左手首の骨折、2008年に左膝の手術など、怪我や故障に苦しみながらも手に入れた技術を勝負強さに活かし、本塁打数よりチームの勝利に貢献できる打点にこだわるようになっていきます。
中距離打者としての道を選んだかのようにみえた松井選手ですが、動く球の軌道にも慣れ、再び前にポイントを置いて球を捉えられるようになってきたことから、2009年に再び本塁打にこだわります。左膝の不調もあり指名打者としての出場が続きますが、結果、指名打者での年間最多本塁打の球団記録を更新。ヤンキース入団後、2番目に多い28本塁打を放ち、チームの地区優勝に貢献しました。
その後、ワールドシリーズでは持ち前の勝負強さを活かし、チームは9年ぶりのワールドチャンピオンに輝きます。そして3本塁打・8打点をあげた松井選手は、日本人選手として初となるワールドシリーズMVPを受賞。熱狂と共に、松井選手のNPB時代や高校時代から培われた“本当の勝負強さ”を日米の野球ファンに印象付けました。
しかし気づけば、松井選手もプロ野球選手生活17年目を迎えています。
この年を最後に松井選手はヤンキースを退団。そしてロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズを渡り歩きますが、度重なる故障の再発や不調に悩まされ、2012年に引退を決意しました。
1390安打 打率.304 332本塁打 889打点
MLB通算記録
1253安打 打率.282 175本塁打 760打点
日米通算
2643安打 打率.293 507本塁打 1649打点
NPB表彰
首位打者:1回(2001年)
本塁打王:3回(1998年、2000年、2002年)
打点王:3回(1998年、2000年、2002年)
MVP:3回(1996年、2000年、2002年)
ベストナイン:8回
ゴールデングラブ賞:3回
MLB表彰
ワールドシリーズMVP:1回(2009年) ※アジア人史上初
日米のファンに愛された幸せな野球人生
松井選手は引退の理由を「僕のいいプレーを期待してくれている方々に、本当に命懸けのプレーをお見せできるかどうか疑問だった」と語っています。
引退を決めた38歳という年齢はNPBの中でも若いほうではなく、MLBという過酷な環境の中での10年間を振り返ると、心身ともにこれ以上のパフォーマンスをみせるのは、酷だったのかもしれません。
本塁打を打率・打点に変え、自身を変えながら夢を走ってきた松井選手。
それでも日本人選手ではMLB最多となる31本塁打を放ち、4度のシーズン20本塁打以上を記録。MLBでの通算本塁打は、日本人選手最多となります。
しかし松井選手が最後まで大切にしてきたものは「チームが勝つための力になること」でした。
引退した今もなお日米の野球ファンに愛され、チームメイトに心からのリスペクトを受けるのは、松井選手の献身ともいえる「野球への姿勢」であると思えてなりません。
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