快刀乱麻のセットアッパー・浅尾拓也投手

どうもマツローです。

2018年9月、ナゴヤドームでは落合博満監督の元で中継ぎとして活躍し、ドラゴンズ黄金期を支えた浅尾拓也投手のラスト登板を迎えていました。

浅尾投手の名前がナゴヤドームに響き渡ると、静かに試合を見守っていたファンの大歓声が降り注ぎます。

その声援には、これまで中日ドラゴンズを幾度も優勝争いや日本シリーズへと導き、54年ぶりの日本一を見せてくれた大きな要因となった浅尾投手への、最大限の感謝が込められていました。

それほどまでにファンに深く愛された浅尾投手とは、どのような選手だったのでしょうか。

12年間という短い間に、中継ぎとして日本プロ野球界に残した大きな記録と、ファンに一生忘れることのない輝きを見せてくれた浅尾投手の活躍を振り返ります。

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最強のセットアッパー誕生

浅尾投手は常滑北高で2年まで捕手として活躍し、3年からチーム事情により投手兼任捕手を任されます。日本福祉大進学後に投手に専念すると、速球を活かした投手としての才能が開花。2006年ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。卒業後は福祉の仕事に就くつもりだった浅尾投手の人生が、大きく変わった瞬間でした。

入団後、初年度の2007年と2009年は先発投手としての構想があったため、2007年序盤は先発を務め、2009年は開幕投手も務めます。しかしその後結果が出ず、当時抑えを務めていた岩瀬仁紀投手につなぐ中継ぎ投手として活躍します。2009年にはセ・リーグ新記録となる月間11ホールドを記録し、自己最高となる1662球、113回と1/3、464人の打者に投げ、67試合に登板。33ホールド・防御率3.49という成績を残しました。

この活躍から2010年はシーズンを通して中継ぎを務め、9月に日本記録を更新する21試合連続ホールドポイントを達成します。他にもシーズン59ホールドポイントシーズン47ホールドという世界記録を達成。この年はリリーフだけで12勝3敗1S、防御率1.68という大活躍をみせ、最優秀中継ぎ投手賞を受賞。その勢いは日本シリーズへと続き、第7戦での4イニング登板は伝説となりました。

そして翌2011年も前年の疲労を感じさせない投球を見せます。左の中継ぎ投手・高橋聡文投手や抑えを務める岩瀬投手の不調により、ロングリリーフや抑えを任される機会が増えた浅尾投手は、その信頼に応えるように球団記録の79試合に登板。リーグ1位となる45ホールド52ホールドポイントをあげ、防御率0.41被本塁打0という圧倒的な成績を残し、プロ野球新記録となる通算155ホールドポイントを達成します。

この活躍は球団初のリーグ連覇の大きな原動力となり、2年連続最優秀中継ぎ投手賞さらに、NPB史上初めて中継ぎ投手としてリーグMVP・ゴールデングラブ賞に輝きました。

2007年
19試合登板 51.0投球回  4勝1敗 0セーブ 1ホールド 防御率3.53

2008年
44試合登板 50.1投球回  3勝1敗 1セーブ12ホールド 防御率1.79

2009年
67試合登板113.1投球回  7勝9敗 6セーブ33ホールド 防御率3.49

2010年
72試合登板 80.1投球回 12勝3敗 1セーブ47ホールド 防御率1.68
※最優秀中継ぎ投手賞・セ・リーグ連盟特別賞

2011年
79試合登板 87.1投球回  7勝2敗10セーブ45ホールド 防御率0.41
※最優秀中継ぎ投手賞・MVP・ゴールデングラブ賞

そんな浅尾投手の球を日本福祉大時代に受けたことがある野球評論家は、「ビリビリと震えながら襲い掛かってくる」と語っていました。この“痙攣するストレート”は、握力や手首の強い浅尾投手の特徴です。

他にも高校2年まで捕手であったことから、浅尾投手には他の投手とは違った特徴がありました。

“てこの原理”と卓越したフィールディング

浅尾投手の投球フォームの特徴は、「極端にテイクバックが小さく、腕の振りの速いスリークォーター」。これは浅尾投手が捕手であったことに由来します。

浅尾投手のこの速い腕の振りを実現させているのは、手首の強さにありました。
通常投手は投げるときに肘をたたんで手首を送り出しますが、浅尾投手は手首が強いため、肘をたたまなくても投げることができ、打者から見るといきなり手首が出てくるように見えるそうです。打者はいつ球を放したかもわからず、タイミングを狂わされます。

そして投球フォームにも工夫がありました。
通常投手は投球時、利き手と逆足の膝を曲げて体重を乗せます。しかし浅尾投手は球を放す瞬間に左足で地面を後ろに蹴るようにして膝を伸ばし、身体を曲げて腕を振り切り球を勢いよくはじくように投げます。これはてこの原理の応用と言われ、この動作により鋭く速い腕の振りが実現します。

この投球で繰り出されるストレートは最速157km。変化球はスプリットに近い高速フォークとスライダー、現役選手では唯一となる120kmのパームボールを投げ、打者を翻弄します。またアウトコースの使い方がうまく、ストライクからボールになる変化球を要所で投げることで打者を打ち取りました。

さらにフィールディングやクイック・けん制の上手さは、捕手として成長してきた浅尾投手の強みを活かした技術と言えるでしょう。

浅尾投手のプレー集は以下の動画になります。やはりフィールディングはピカイチですね。

粉骨砕身の代償

しかし数々の記録を打ち立てた活躍の代償は大きく、2012年からはストレートの速さ・球威の低下に悩みます。この頃から浅尾投手は右肩痛に苦しみ、常時150kmの速球は140kmへ。フォームもばらつきが多くなり、球威のなくなったストレートを狙い撃ちされるようになってしまいました。

浅尾投手の登板数を上回る投球回は、2イニングにわたって登板することの多さを表します。中継ぎ投手にとっては、登板数の多さもさることながら最も負担となるのが“何度も肩を作ること”と、一度冷えた肩で投げなくてはいけない“イニングまたぎ”と言われています。

そして毎試合準備をする中継ぎ投手は、結果的に登板しない日も投げています。浅尾投手の場合、表に出ている登板数以外に相当な投球数を投げていたことが想像でき、このことが浅尾投手の選手寿命を縮める原因になったのではないかといわれています。

浅尾投手は2015年に一時期の復活は見せるものの、2016年は一軍登板なし。オフには同じく現役時代に肩の故障に苦しんだ元ソフトバンクの守護神・馬原孝浩投手の元へ通い、完全復活を目指します。

そして努力が実り、2017年9月待望の一軍復帰を果たします。10月にはプロ野球史上3人目、セ・リーグでは史上2人目となる通算200ホールドを達成。しかし浅尾投手はこの時に周りの配慮から達成させてもらったように感じ、投手としての未来を考え始めたと語ります。

そしてついに2018年9月引退を決意。引退会見では時折笑顔を見せ、12年間の短い現役生活に悔いはないと語りました。

通算成績
416試合登板505投球回 38勝21敗23セーブ200ホールド 防御率2.42

・MVP:1回(2011年)

・最優秀中継ぎ:2回(2010-2011年)

・ゴールデングラブ賞:1回(2011年)

酷使か一瞬の光か

ファンは最後まで浅尾投手の完全復活を待ち続けました。それは低迷に苦しむチームの救世主としての浅尾投手の復活ではなく、ひとえにもう一度浅尾投手がマウンドで輝く姿が見たかったからのように思えます。

以前のような速球派でなくてもいい、こんなにチームに貢献してくれた選手だからこそ復活を願い、いつまでも背番号「41」に声援を送り続けたかった。

誰よりもファンに愛された最強のセットアッパー・浅尾投手の活躍には、眩いばかりの活躍とその代償が付きまといます。この起用が正解だったのか間違いだったのかは、誰にもわかりません。ただ浅尾投手が「悔いはない」と語ってくれたことに、プロ野球ファンの一人として感謝を送りたいと思います。

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