【2019年最新版】2000投球回達成者の通算防御率ランキング

どうもマツローです。

投手分業制といった起用方法の変化やトレーニング方法・試合後のケアなどの向上により、プロ野球選手の選手寿命は飛躍的に伸びました。

しかし起用法の変化や以前よりMLB移籍を希望する選手が増えたことによって、200勝を達成する選手2000投球回を達成する選手は少なくなりました。

2000投球回を達成するには、規定投球回が毎年約143回と仮定すると、最低でも14年間毎年規定投球回到達しなければなりません。

2018年シーズンの規定投球回到達者がセ・リーグ8名・パ・リーグ9名出会ったことを鑑みるに、2000投球回を達成することすら大変険しい道のりであることがわかると思います。

しかし長年日本プロ野球を見てきたオールドファンの方々には、先発完投はあたり前、翌日はリリーフとして登板するといった、まさに百人力の大活躍をみせた大投手の記憶があります。

今回は2000投球回達成者の防御率を調べ、当時の投手がどれほど超人的な活躍を見せていたのかを、ランキング形式でご紹介します。

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2000投球回達成者の通算防御率ランキング

日本初のプロ野球リーグが設立された1936年以降の記録を対象に、2000投球回以上を投げた投手の通算防御率ランキング、上位10名をご紹介します。

通算防御率ランキング
順位 選手名  防御率 投球回 実働年
1位 藤本 英雄 1.90  2628.1 1942~1955年

2位 野口 二郎 1.96  3447.1 1939~1952年

3位 稲尾 和久 1.98  3599  1956~1969年

4位 若林 忠志 1.99  3557.1 1936~1953年

5位 スタルヒン 2.088  4175.1 1936~1955年

6位 村山 実  2.092  3050.1 1959~1972年

7位 別所 毅彦 2.18  4350.2 1942~1960年

8位 荒巻 淳  2.230  2202.2 1950~1962年

9位 杉下 茂  2.232  2841.2 1949~1961年

10位 金田 正一 2.34  5526.2 1950~1969年

これだけの投球回を達成するのもすごいことですが、そのうえで驚異的な防御率を実現させるのは、才能・時代の違いの一言では語れません。そんな素晴らしい選手の上位5名の特徴などを、簡単にご紹介します。

【2000投球回達成・通算防御率1位】獅子奮迅!藤本英雄選手

釜山で生まれ幼少期に日本へと渡った藤本英雄選手は、今も破られていない明治大最多勝利をあげると、1942年シーズン途中に巨人の前身である東京巨人軍へ入団します。

2年目に達成した防御率0.73、19完封という記録は今を以てしても日本記録。この年に最多勝・最高勝率・最優秀防御率・最多奪三振・最多完封投手五冠を達成しました

25歳でプロ野球最年少監督を経験し、故障により外野手も経験するという紆余曲折を経て1955年に200勝をあげ引退。獅子奮迅の活躍をしながら、現役生活13年で幕を下ろしました。

【2000投球回達成・通算防御率2位】元祖鉄腕!野口二郎選手

愛知県で育ち法政大中退後、1939年東京セネターズへ入団。その後翼軍・大洋軍へと移籍し、プロ野球4年目となる1943年に大洋軍でシーズン40勝をあげ、歴代シーズン最多勝でも3位となる記録を打ち立てました。

また同年19完封をあげ、この記録は藤本選手と並び今も破られていない日本記録です。

残念ながら応召により筋力が低下してしまい、以後投手としての衰えから試合出場は減りますが、晩年は打者としても活躍。31試合連続安打という記録を残しています。

しかし応召前の5年間に先発として平均58試合・419回を投げた記録は、「元祖・鉄腕」の名にふさわしいものといえます。

【2000投球回達成・通算防御率3位】西鉄の神様!稲尾和久選手

県立別府緑丘高校卒業後、1956年に西鉄ライオンズへ入団。初年度から21勝・35勝をあげ、6年目となる1961年に、プロ野球史上最多タイとなるシーズン42勝という信じられない記録を打ち立てました。

同年、シーズン奪三振数歴代2位となる353奪三振を達成。現役生活14年間で3599回を投げ、尚且つ歴代最多となる5回の最優秀防御率を獲得しました。

その驚異的な記録が、当時流行となった「神様・仏様・稲尾様」という言葉を裏付けていますね。

【2000投球回達成・通算防御率4位】エースナンバー18生みの親!若林忠志選手

ハワイ・オアフ島で生まれた日系2世の若林忠志選手は、法政大卒業後、実業団・川崎コロムビアを経て、1936年阪神の前身となる大阪タイガースへ入団。

28歳という、2000投球回以上を投げた投手の中では非常に遅い入団にもかかわらず、兼任監督を経験しながら45歳まで現役を続けました。

背番号18がエースナンバーとなったのは、日本プロ野球設立初期に若林選手が18番をつけ活躍したことに所以するとも言われており、36歳での最多勝獲得は下柳剛選手と並び最年長記録です。

【2000投球回達成・通算防御率5位】 波乱の野球人生・スタルヒン選手

ロシアで生まれ幼少期に日本へ亡命し、野球選手として学生時代から名を馳せるも父親の起こした殺人事件や無国籍・生活苦などから、半ば強制的に日本選抜に参加するため上京。

1936年に東京巨人軍へ入団します。4年目に日本記録となるシーズン42勝をあげ、100勝を達成、20年目には今では考えられない300勝を達成しました。

また、83完封という通算最多完封は今も破られていない日本記録。戦前・戦中・戦後の数々の苦難を乗り越え、4175.1回を投げぬいたスタルヒン選手の素晴らしい功績を讃え、野球殿堂の史上最初の競技者表彰に選ばれています。

2000投球回達成者が現れるのはいつ?

2019年現役を迎える選手の中で、2000投球回を達成しているのは2名。

今年現役17年目を迎える石川雅規選手が、2018年シーズン終了時点で2670.1回を投げ、防御率は3.87。

14年目となる涌井秀章選手で、投球回は2211.2回防御率3.46で、両者とも2000投球回以上投手の通算防御率ランキングでは40位以下となります。

昨年で引退し、現在はコーチとして活躍する杉内俊哉選手は、2091.1回を投げて防御率2.95という成績を残し、2000投球回以上投手の通算防御率ランキングでも33位にランクインしています。

また、あと少しで2000投球回を達成する現役選手には、2019年より西武へ移籍した内海哲也選手(昨シーズン終了時で1969回)、楽天の岸孝之選手(昨シーズン終了時で1856.1回)がいます。

岸選手のこれまでの活躍を思えば来季中の達成は充分可能で、内海選手に関しては今季早々に達成する可能性があります。

現代プロ野球では貴重な記録となった2000投球回が無事達成できるよう祈りつつ、これまでの厳しい道のりを頑張ってきた選手の努力を讃えましょう。

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