どうもマツローです。
2019年3月21日、この日東京ドームで行われたアスレチックス戦を最後に、シアトル・マリナーズのイチロー選手が現役引退を発表しました。
イチロー選手はオリックス・ブルーウェーブで数々の記録を更新し、初の日本人野手としてMLBへの扉を大きく開いた偉大な開拓者です。またWBCなどの国際試合で活躍し、日本野球のレベルを世界に示してくれた選手のひとりでもありました。
そんなイチロー選手が、NPBとMLBで過ごした28年間で出場した試合数は3604試合、積み上げた安打は4687本にもおよびます。
イチロー選手といえば、とかくこの安打数が話題になりますが、これはイチロー選手が残した素晴らしい記録のごく一部です。
この記事では今回の引退を期に、あらためてイチロー選手とはどのような選手だったのか、プロフィールやこれまでの経歴や成績についてご紹介します。
また他の日本人メジャーリーガーや日本人選手には“隣の気のいいあんちゃん”と慕われる性格にも触れ、イチロー選手が私たちに残してくれた記憶を振り返りたいと思います。
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Contents
奇跡の選手・イチロー選手のプロフィール
生年月日 :1973年10月22日
出身地 :愛知県豊山町
身長 :180cm
体重 :71kg
ポジション:外野手
投球・打席:右投左打
経歴:
愛工大名電高(1991年ドラフト4位)
オリックス・ブルーウェーブ(1992年-2000年)
シアトル・マリナーズ(2001年-2012年7月)
ニューヨーク・ヤンキース2012年7月-2014年)
マイアミ・マーリンズ(2015年-2017年)
シアトル・マリナーズ(2018年-2019年3月)
誰よりも野球を愛した日本人・イチロー選手の経歴
天才的打撃センスを磨いた愛工大名電高時代
愛知県で生まれ名門・愛工大名電へと進んだイチロー選手は、高校時代は投手兼外野手でチームでは主に4番を任される打者でした。
甲子園2度の出場はいずれも初戦敗退。通学中の事故により投手としての道を諦めざるを得なくなりますが、当時よりボールを芯でとらえる感覚がずば抜けており、高校通算151試合で537打数269安打・打率.501を記録。出塁率も5割を超え、高校3年時の三振は僅か3と言う成績をあげます。
またイチロー選手は高校入学当初より監督に「センター前ならいつでも打てます」と話し、3年生のエースピッチャー相手に対戦しても有言実行で打球のほとんどを見事にセンター前に打ち返し、監督に「宇宙人みたいなやつが入ってきた」と言わせたエピソードもあります。
この天才的な打撃はイチロー選手が子供の頃よりファンだった中日ドラゴンズや、日本ハムファイターズなどから高い評価を受けていたものの、身体の細さなどの影響で1991年ドラフト4位でオリックス入団が決まりました。
恩師と出会いNPB最高打者“イチロー”誕生
オリックスへ入団したイチロー選手は、類稀なる打撃センスと強肩・俊足でウエスタンリーグ首位打者に輝きます。
しかしこの時は一軍首脳陣と打撃についての意見が合わず、3年目となる1994年に仰木彬監督が就任するとすぐにレギュラーに定着、NPB最高記録となる69試合連続試合出塁やNPB史上初となるシーズン200安打を達成します。
この年は他にも当時のパ・リーグ記録となる打率.385を記録し、首位打者・正力松太郎賞などを獲得。仰木監督のもと、のびのびと才能を開花させるこの時を、のちにイチロー選手は「94年あたりまでは野球が楽しくて仕方がなかった。」と語っています。
翌1995年1月、阪神淡路大震災に見舞われ「がんばろうKOBE」を旗印に、イチロー選手は復興を目指す神戸の象徴としてイチロー選手は奮起します。そして首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率の打者五冠に輝き、2年連続正力松太郎賞を獲得。
仰木監督と共に悲願のリーグ優勝を果たし、神戸に笑顔をもたらします。この時の打点王・盗塁王の同時獲得、最高出塁率・盗塁王の同時獲得は共にNPB史上初。あと本塁打3本で本塁打王に並んだことから、未だ達成されたことのない打撃タイトルを独占する打者六冠の夢を見せてくれたのです。
また、イチロー選手の活躍は高校野球から社会人野球まで幅広く影響を与え、少年野球でもアベレージヒッターを目指す子供が増え、とりわけイチロー選手が活躍しだしてから“右投げ左打ち”のバッターが増えたように思います。
日本人への認識を変えた“マリナーズのイチロー”
その後もイチロー選手はNPBで野手としてトップレベルの成績を残し、1996年リーグ連覇と日本一を達成しますが、プレッシャーも強くなってきます。そんなプレッシャーと戦いながら、2000年まで前人未踏の7年連続首位打者やパ・リーグ記録となる打率.387をマークします。
しかしそんな偉業の数々もイチロー選手の思いとは裏腹に、世間には“イチローなら当然”といった風潮が流れ、同時に自身もNPBにマンネリを感じていました。
そして2001年ポスティングシステムを利用し、日本人野手として初めてMLBシアトル・マリナーズへ移籍。
会見では近年笑顔が少なかったイチロー選手に笑顔が戻りますが、当時のイチロー選手への期待は決して高くはなく、メジャーリーガーに比べて体格もパワーも劣る日本人がMLBでどれほど通用するかといった、文字通り“MLB挑戦”という風潮でした。
イチロー選手は並々ならぬ決意のもと、MLB新人記録の242安打・打率.350・自身最高記録となる56盗塁を記録します。
NPBで定評のあった守備においても、右翼からの強肩かつコントロール抜群の鋭い送球は「レーザービーム」と称され、移籍初年度から首位打者・盗塁王・新人王・ゴールドグラブ賞・シルバースラッガー賞・アメリカンリーグMVPを獲得。
チームの地区優勝に大きく貢献すると共に日本人選手に対する認識を変え、日本人野手のMLBへの扉を大きく開いたのです。
当時のMLBはマグワイヤ選手やソーサ選手が驚異的なホームラン競争を繰り広げていた“パワーヒッター全盛”の時代でしたが、打球をあらゆる方向に打ち分けて、俊足を活かした内野安打・盗塁・守備などで魅せるイチロー選手は全米ファンの心を鷲掴みにし、まさに全米に“イチロー旋風”を巻き起こしたのでした。
その証拠にイチロー選手は2001~2003年の3年間でMLBオールスターの“最多得票選手”となっています。
打撃・守備・走塁すべて魅せた“世界のイチロー”
この活躍を皮切りにイチロー選手が数々の記録を残したのは周知の事実ですが、特に圧巻だったのは2004年に達成した、MLBシーズン最多安打となる262安打です。
この記録は10年以上経った現在も破られておらず、MLBでは「Untouchable Record(今後最も破られないであろう記録)」と言われています。
他にも打撃ではMLB最高記録である10年連続200安打や、2016年にはアジア人初・アメリカ人以外で僅か4名しか達成していないMLB通算3000本安打を達成し、ギネス世界記録となるNPB・MLB通算最多安打の4367本を残しました。
そんなイチロー選手は打撃に関して「これという最後の形はない。これでよしという形は絶対にない。でも今の自分の形が最高だという形を常に作っている。この矛盾した考え方が共存していることが、僕の大きな助けになっている」と語っています。
守備ではNPBとMLBでゴールデングラブ賞に値する賞を通算17年連続で獲得。選手が1試合でいくつのアウトに関与したかを示す指標・RFでは、2001年から6年連続ア・リーグ1位を記録しています。
右翼での俊足を活かした広い守備範囲と正確で素早い送球は、厳重な警備で知られるアメリカ空軍管轄下の国家機密区域の俗称「エリア51」と呼ばれ、右翼だけでなく中堅・左翼でも活躍をみせました。
走塁ではマリナーズの通算盗塁数の球団記録を樹立。イチロー選手にとって盗塁は数ではなく成功率が最も大切と語っていて、NPB通算199盗塁で.858、MLB通算509盗塁で.813という盗塁成功率を誇ります。シーズン盗塁成功率.957は、40盗塁以上を決めた選手の中ではMLB歴代1位を記録しています。
イチロー選手の走・攻・守にわたるプレーは以下の動画で見ることが出来ます。
WBCで見せた日本人の誇り“人間イチロー”
MLB移籍後も自身の生活のすべてをコントロールし、感情をあらわにすることのなかった孤高の天才・イチロー選手に対する認識を、大きく変えたのがWBCではないでしょうか?
それまでマスコミを通してあまり感情を出さずクールな印象だったイチロー選手が、「“向こう30年は日本に手は出せないな”という感じで勝ちたい」と、挑発ともとれる発言をし、2次リーグで韓国に敗れた際は「野球人生で最も屈辱的な日」と怒りをあらわにし、初代王者に輝いた際は「野球をやってきてこれだけチームメイトと同じ気持ちで一つの目標に進んだことはない。本当にいい仲間と巡り会えた」と目を潤ませる。
オリックス時代初期には無邪気な笑顔を見せることがありましたが、こんな風にすべての感情をあらわにする人間らしいイチロー選手ははじめてでした。
普段クールなイチロー選手がチームに対し情熱的な姿勢で取り組んでいたのは、「日本人としての誇り」に根差します。
のちにニューヨーク・ヤンキースで同僚だったデレク・ジータ選手は、イチロー選手がよく口にする言葉に“ジャパニーズ・アイデンティティ”をあげていて、どんな時も自分が日本人であることに誇りを持っていると語っています。
この“日本人としての誇り”はMLB移籍・WBCを通してより強くなっていき、この思いがあったからこそ数々の素晴らしい成績を残せたのだろうと思います。
イチロー選手が先頭に立って選手たちに声をかけ、懸命にプレーする姿は、上原浩治選手・ダルビッシュ有選手・青木宣親選手などの日本代表選手、そして野球ファンを熱狂の渦へ導きます。
自信溢れる言動はチームに大きな力を与え、日本はWBC初代王者に。2度目のWBCではイチロー選手自身が非常に苦しみながらも、伝説となった決勝タイムリーを放ちWBC2連覇を飾りました。
また、イチロー選手の試合に向け徹底した準備や行動は、投手野手問わず若手選手に大きな影響を与えました。元のチームに戻ってからもその姿勢を続けた結果、アーリーワークなどを当たり前のように行うようになったり、コーチが言わずとも選手が自主的に練習に取り組むようになったりと、イチロー選手の情熱は日本に対する世界の目を変えたばかりか、NPBの選手の在り方さえも変えていったのです。
世界に愛されたイチロー選手の「幸せな生き方」
イチロー選手は過去に「僕は子どもの頃から人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負がある。小学生の頃も毎日野球の練習をして、近所の人からあいつプロ野球選手にでもなるのかって、いつも笑われていた。常に笑われてきた歴史、悔しい歴史が僕の中にある」という発言をしています。
このようにイチロー選手の偉業の裏にはいつも、人に笑われても周囲の反応にとらわれずストイックに行動する強さがありました。
これこそがイチロー選手が引退会見で語った、野球に対して貫いた「愛」です。イチロー選手を知る多くの選手が、「何よりも野球が好き。取り組み方はもちろん、野球の話をするときは本当に無邪気な顔をする」と語ります。
そんなイチロー選手に大きな変化を与えたのが、MLB移籍により「外国人になったこと」やMLB・WBCで感じた「日本人としての誇り」です。
イチロー選手は自身が外国人として扱われるようになったことで、「人の心をおもんぱかったり人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた」と語り、「ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれると思っていたんですけど、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきた」と語ります。
イチロー選手の築き上げた記録やNPB・MLBに残した功績は非常に大きいものではありますが、一番に評価されるのは記録ではなく、愛するものや大切にしてきたものに我を忘れて情熱を注ぐ姿勢ではないでしょうか。
言葉にするのは簡単ですが実践するのは難しく、現代社会では愛するものを愚直に大切にするのは本当に大変なことです。イチロー選手の究極の自己実現は、多くの人の心を揺さぶり、感動を与えてくれたのです。
そんなイチロー選手の魅力をMLBのサイトでは「人生をとことん楽しむ姿、研ぎ澄まされたユーモア、そして強烈で、ほとんど神秘的なほどの野球への献身が、人々の心をとらえて離さなかった」と伝えています。
NPB・MLB獲得タイトルと最高記録
打点王 :1回(1995年)
盗塁王 :1回(1995年)
最多安打 :5回 (1994年-1998年)
最高出塁率 :5回 (1994年-1996年、1999年-2000年)
MVP :3回(1994年-1996年3年連続)
ベストナイン :7回(1994年-2000年7年連続)
ゴールデングラブ賞:7回(1994年-2000年7年連続)
69試合連続出塁
216打席連続無三振
2回連続正力松太郎賞
5年連続両リーグ最多安打・・・など
MVP :1回(2001年)
首位打者 :2回(2001年・2004年)
盗塁王 :1回(2001年)
シルバースラッガー賞:3回(2001年・2007年・2009年)
ゴールドグラブ賞 :10回(2001年-2010年)
5年連続両リーグ最多安打
10年連続シーズン200安打(ギネス世界記録)・・・など
最後まで安打を求めて
イチロー選手は引退会見で、昨年5月に選手登録を外れて会長付き特別補佐に就任してから今回の日本遠征までが、選手としての契約だった事を明かしました。
しかし元中日・山本昌選手は自身のSNSで、少し前にイチロー選手と電話で話をした時に、「50歳までどうしたら出来ますか?」と聞かれたことを明かしています。
イチロー選手の中では「まだやれる」「まだやりたい」という思いがあり、2019年春のキャンプで結果を残して再び選手としてチームに必要とされたい、そんな思いがあったのだと思います。
イチロー選手は最後まで安打を求めて打席に立ち続けました。しかし思うような結果が出ず、日本での開幕前に球団GMに引退の旨を伝えていたそうです。大切なことを教えてくれた野球の神様と球団への感謝。これは本当に勇気ある決断だと思います。
NPB・MLBに数々の功績・記録を残したイチロー選手は、殿堂入り確実とみられています。MLBの野球殿堂入りは、引退して5年後から。その時イチロー選手は「51」歳を迎えています。
これもイチロー選手に最後に残された、野球の神様からの粋なプレゼントなのでしょうか?
その時のイチロー選手の笑顔を楽しみに、少しの寂しさを覚えながらイチロー選手の今後の活躍に期待したいと思います。
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