どうもマツローです。

今回は元福岡ソフトバンクホークスの斉藤和巳投手について書いていきます。

現在野球解説をメインとして活動している斉藤和巳さん。斉藤投手といえば1996年~2010年まで、その甘いマスクで鷹ガール(ホークスファンの女子の愛称)のハートを虜にしてきました。

当時は同じくホークスに所属していた和田毅選手とともに女性向けプロ野球雑誌の表紙を飾る常連でした。もちろん良いのは顔だけ、ということではなく実力も伴った、まさしく“天は二物を与えた”というような投手でした。

さて現在でも人気野球解説者として活躍する斉藤投手ですが、現役時代はどんな選手だったのでしょうか?

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「カズミ」の苦悩

1995年ドラフト1位で福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団した斉藤投手。ドラ1で入団し注目を集めるも、入団年は残念ながら1軍登板は無く苦難の1年となりました。
それでも斉藤投手は腐ることなく持ち前のガッツで淡々とトレーニングをこなし、2軍での実績を重ねていきました。その甲斐あってプロ2年目のシーズン終わり間際にリリーフとして初登板を果たすことができたのです。

プロに入って3年間は1軍の登板がほどんどなく、ケガとの闘いという苦しいシーズンを過ごしていましたが、一つの転機として小久保裕紀選手の存在があります。斉藤投手は3年目に右肩の故障での手術を行いますが、当時小久保選手も右肩の手術をしていました。バリバリの4番である小久保選手が懸命にリハビリに取り組む姿を見て、とても感銘を受けるとともに、自分のリハビリに対する甘さに“強い危機感”を覚えたそうです。

小久保選手のリハビリに取り組む姿勢を見て、斉藤投手もより一層真摯に取り組むようになり、徐々に才能が開花していくことになります。

鷹の“絶対的エース”へ!

斉藤投手は2000年のシーズンを新たな気持ちで迎えることとなりました。まず6月24日に行われた千葉ロッテマリーンズ戦ではようやくプロ初勝利を手にし、初めてのヒーローインタビューを受けることができました。

このシーズンでは5勝を挙げ新人王の候補にもなったのですが、残念ながらタイトル獲得とまではいきませんでした。そしてその後2年間もそれなりに活躍はしていましたが、なかなか特出した結果を残すに至りませんでした。

しかしプロ7年目の2003年シーズン。いよいよ斉藤和巳の名前を日本中に轟かす年が訪れます。
この年は初めて開幕投手に選ばれましたが、そのことが斉藤選手の背中を押したのでしょう、なんと先発登板で16連勝を記録したのです。さらにシーズンを通して、26試合に登板し20勝3敗と大車輪の活躍を見せ、防御率も2.83とチームのリーグ制覇へ大きく貢献しました。西武ライオンズとの優勝争いでは、ホークスファンは固唾を飲んで見守っていました。それもそのはず、西武には当時球界のエースだった松坂投手が強敵として立ちはだかっていたのです。松坂投手との投げ合いは3度もありましたが、斉藤投手は何れの試合も難なく勝利を納め、見事チームを優勝へと導きました。

ちなみに当時の西武打線には松井稼頭央選手、カブレラ選手、和田一浩選手等強打者がズラリと並ぶ打線でしたが、斉藤投手はその実力で“西武キラー”の異名を持っていました。

そして日本シリーズでは1戦目、5戦目に先発しましたがいずれも勝ち星はつきませんでした。しかしチームは見事日本一に輝き、もちろん日本一に至るまでの斉藤投手の貢献度も素晴らしいものがありました。

その貢献度を裏付けるかのように斉藤投手は沢村賞、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン等の様々なタイトルを獲得し、ホークスのエースと言えば「斉藤和巳」というのを、日本中のプロ野球ファンに知らしめたのです。

その後もエースとして10勝、16勝、18勝を挙げ、18勝をあげた2006年シーズンには最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、最多完封投手5冠王を達成しました。これは2リーグ制となって以降4人目となる快挙です。ちなみに斉藤選手より前は、1981年に巨人所属の江川卓さんが達成していました。実に30年近く誰も達成していなかったことが分かります。非常に素晴らしい記録ですよね。

またこの年は自身2回目の沢村賞も獲得し、鷹の絶対的エースから“球界の絶対的エース”に上り詰めた瞬間でもありました。

エースの涙と引退まで

斉藤選手で検索すると出てくるのが「涙のプレーオフ」というワード。いったい何があったのかと言いますと、投手5冠を達成した2006年、斉藤投手はエースとしてプレーオフ第2ステージの日本ハムファイターズ戦に先発していました。相手投手は八木智哉投手で、スコアボードにお互い0を刻み続ける息詰まる投手戦を繰り広げていました。両チームのファンが見守る中、9回裏2アウト1、2塁。あと1アウトというところで打席には稲葉篤紀選手が立っていました。その年日本ハムは人気選手だった新庄剛志選手が引退するということで、リーグ制覇を決める試合に会場全体のボルテージが高まっていました。

そんな緊張感高まる中、斉藤投手が放ったボールは稲葉選手のバットに捉えられ痛烈なピッチャー返しとなります。かろうじてセカンド本多選手が補給しセカンドへ送球しますが間一髪でセーフ、その間に2塁ランナーが一気にホームインして残念ながらサヨナラ負けとなってしまったのです。

日本ハムナイン、ファンが歓喜に沸く中、斉藤投手はマウンドで崩れ落ち自分で立つことすらできないほど涙を流し憔悴しきっていました。その姿がホークスファンならず、プロ野球ファンの胸を打ち、残酷ながらも感動の名シーンとして語り継がれているのです。

その後のシーズンは肩のケガの影響もあり、復活することなく2010年オフに斉藤選手はプロ野球界を退きました。

全盛期は150km/h超のストレートと140キロ代の高速フォーク、緩急を織り交ぜた緩いカーブで気迫を全面に押し出しながら強打者をねじ伏せてきた斉藤投手ですが、通算成績は以下の通りです。

通算成績
150試合・79勝23敗・846奪三振・防御率3.33・勝率.775

沢村賞:2回

最多勝:2回

最優秀防御率:2回

最多奪三振:1回

最高勝率:3回

投手5冠:史上7人目、平成では唯一の達成者

開幕15連勝(当時のプロ野球記録)

現在は野球解説者として活躍している斉藤選手。ホークスのエースとして活躍し、涙を流したその姿はこの先も ずっと、ホークスファンの心に刻まれていることでしょう。

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