どうもマツローです。
1999年の流行語「雑草魂」という言葉を知っていますか?
この言葉は、どんなに辛いことがあっても、高い壁があっても決して諦めることのないあるプロ野球選手を表した言葉です。その選手というのが2018年11月現在、読売ジャイアンツを自由契約となった上原浩治選手です。野球をあまり知らない人でも彼の名前は知っている方も多くいらっしゃるほど、有名な選手です。
今回はそんな上原浩治選手がどんなプレーでスター選手になっていったのか探っていきます。
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雑草魂の根源にあるのは?
上原選手は高校時代、外野手を任されていました。というのも同じ高校に元日本ハムの建山義紀さんが居り、なかなか登板機会に恵まれなかったためです。
そして当時は目立った成績も上げることも、特出した能力もなく、悲しいことにプロのスカウトから注目されることもなかったので、本人自身は元々夢であった体育教師を目指し大学進学を予定します。
しかし大学受験したものの残念ながら結果は不合格。上原選手は悔し涙を飲みながら“一年浪人”して再度大学受験をチャレンジすることを決意し、受験勉強するあいまに体を鍛えたりアルバイトに明け暮れました。こうして無事に1年後、大阪体育大学に合格し体育教師を目指すのです。このときに経験した苦労が上原選手の強いハートを築き、今後プロ生活で活躍していく“雑草魂”の原点となりました。
巨人軍で大活躍!新人王に輝く
1998年、ドラフト会議で上原選手は読売巨人軍を逆指名しました。上原投手はメジャーリーグに対する憧れも抱いておりドラフトの前にはメジャーリーグのアハナイム・エンゼルスに入団する可能性もあったのですが、まずは日本球界で活躍したいとの思いでこの決断をしたようです。
なお巨人入団時の背番号は“19”で、これは人生で一番苦しかった浪人時代の19歳の頃を忘れないようにという意味を込めて選んだ背番号と言われています。
こうして迎えた初めてのシーズン。当時の監督、長嶋茂雄さんの下、上原選手は躍動します。何と言っても圧巻なのは15連勝を記録したことでしょうか。現在メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースに所属している田中将大選手も連勝を記録して大きな話題となりましたが、新人で15連勝するというのは驚異的なことではないかと思います。
さらに15連勝するだけに留まらず、上原選手はその年25試合に登板し20勝を挙げ、うち12試合が完投、1試合が完封という驚くような成績を残したのです。奪三振も多く179個で後僅かで200個に達成しようかというところで、防御率も2.09と新人とは思えない超好成績でシーズンを終えました。
もちろんその年は最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、最多奪三振の投手四冠に加え、新人王、沢村賞、ゴールデングラブ賞等の賞を総なめにしました。ちなみ同年のオールスターゲームにも選出されていて、なんとここでも優秀選手賞を貰っています。
しかし、来季もきっと活躍してくれるだろうと巨人ファンの思いとは裏腹に翌年の成績は9勝7敗、防御率3.57と前年程の好成績を残せない結果となってしまいました。
その後上原選手は10年間巨人でプレーをし、かねてから念願だった海の向こうへ渡る決意をしたのです。
メジャーでも話題の男!
2009年の正月も明けた頃、上原選手は新たな気持ちを胸にメジャーリーグのボルチモア・オリオールズと契約を交わしました。
「活躍してやるぞ」という強い気持ちとは裏腹に入団した年はケガもあり、僅か12試合の登板に留まってしまい思うように活躍ができませんでした。
しかし翌シーズンの途中にはケガも治り、安定したピッチングでファンを沸かせ、気づけばシーズン防御率2.86と好成績を残しました。このことがきっかけとなり、上原選手は最強の抑え投手としての地位を確立していくのです。
さらに2011年のシーズンではMLB歴代3位となる36試合連続無四球試合を記録し、地元ファンにも信頼され愛される選手に成長していきました。しかしそのシーズン途中で上原選手は、テキサス・レンジャーズへトレードされます。
レンジャーズ時代はワールドシリーズに出場したりするもワールドチャンピオンまでには至りませんでした。ですが、上原選手自身は防御率2点台をキープしたり、イニング数を稼ぐなど華々しい活躍を見せていました。そのことがきっかけとなり、2012年のポストシーズンにはメジャーの各球団で取り合いになる程魅力的な選手に。そして上原選手は熟考した結果、ボストン・レッドソックスへの移籍を決めたのです。
そして翌年の2013年、上原選手は日本人初の快挙を達成することになります。昨年度から順調に伸ばしてきた連続無失点記録を27試合まで伸ばしたり、シーズン途中から抑えに転向したにもかかわらず21セーブを挙げる等チームを優勝へ導く活躍を見せていました。
上原選手の活躍もありレッドソックスは見事ワールドシリーズを制覇、最後に抑え投手として投げていた上原投手が、見事“世界一の胴上げ投手”となったのです。このことは当時のニュース番組でも大きく取り上げられていました。
その後、2016年までレッドソックスでプレーを続け、カブスへ移籍。翌年にはフリーエージェントとなり巨人へ復帰を果たしたのでした。
上原投手の最大の武器とは?
上原投手は140キロ代の速球と鋭いフォーク(スプリット)を軸にテンポよく投げ込む投球スタイルが特徴ですが、最大の武器は何といっても抜群の“コントロール”です。上原投手の通算与四球率(投球回1000イニング以上)は驚異の1.20でNPB歴代1位の記録となっています。
また優れた投手の指標の一つとして「K/BB」(奪三振数を四球数で割ったもの)というものがあります。「K/BB」はたくさん三振を奪い、かつ四球を出さない投手程数値が高くなるため、この数値が高いほど優秀な投手と見なすことが出来ます。上原投手のNPBでの「通算K/BB(投球回1500イニング以上)」は6.64でこちらも堂々のNPB歴代1位で、2位の土橋正幸投手の4.61を大きく上回っています。MLB時代も通算の「K/BB」は7.33ととてつもない数値を記録しています。
上原選手の今後は?
2018年現在、巨人を自由契約となった上原選手はすでに43歳。野球選手としての年齢と考えるとなかなか難しいものがありますが、上原選手は再度野球をするために自分が抱えているケガのリハビリに一生懸命取り組んでいます。
ちなみに現在までの上原投手の成績は以下の通りです。
NPB通算
312試合・112勝・67敗・33セーブ・23ホールド・1400奪三振・防御率3.02
MLB通算
436試合・22勝・26敗・95セーブ・81ホールド・572奪三振・防御率2.66
日米通算
748試合・134勝・93敗・128セーブ・104ホールド・1972奪三振・防御率2.94
最多勝:2回
最優秀防御率:2回
最多奪三振:2回
最高勝率:3回
新人王
沢村賞:2回
ベストナイン:2回
ゴールデングラブ賞:2回
リーグチャンピオンシップMVP(MLB)
100勝100ホールド100セーブ(日本人初、世界で2人目)
日本代表歴:
2004年アテネオリンピック、2006年WBC、2008年北京オリンピック
改めてみるととてつもない成績ですね。間違いなく日本プロ野球史上屈指の好投手ということが分かります。
再びマウンドで輝く姿を見せるのか?今季ポストシーズンの動向に要注目ですね。
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