“球界の頭脳”戦う捕手・古田敦也捕手

どうもマツローです。

2018年の日本シリーズは福岡ソフトバンクホークスが優勝。MVPは“甲斐キャノン”と称され、6個の盗塁すべてを阻止した甲斐拓也選手が受賞しました。

その強肩に目を見張るプロ野球ファンの皆様も多かったことと思いますが、そんな甲斐選手をも凌ぐ盗塁阻止率と巧みなリード、勝負強いバッティングで、捕手の概念を変えてしまった選手がかつていました。

それが元・東京ヤクルトスワローズ・古田敦也選手です。

スポンサーリンク

古田選手とは?

ヤクルト黄金期の立役者であり、攻守にわたってチームをけん引した古田選手は、立命館大からトヨタ自動車へ進み、1989年ドラフト2位で東京ヤクルトスワローズへ入団。1990年から2007年までの18年間の選手生活の中で、2度のセ・リーグMVPベストナイン9回ゴールデングラブ賞10回、チームは5度のリーグ優勝・4度の日本一という、華々しい成績を残しています。

通算成績(実働18年)
2097安打・打率.294・217本塁打・1009打点

首位打者:1回(1991年)

MVP:2回(1993年、1997年)

ベストナイン:9回

ゴールデングラブ賞:10回

野球殿堂(2015年)

そんな古田選手は打者として、捕手として、いちプロ野球選手として、どのような選手だったのでしょうか。

華のある頭脳派打撃術

ルーキーイヤーから正捕手として活躍した努力と才能もさることながら、古田選手といえば「打てる捕手」をイメージする方も多いと思います。

その打撃の才能が開花したのは、ヤクルト入団2年目の1991年。3度の三冠王を誇る落合博満選手と争い、セ・リーグで捕手として初の首位打者を獲得します。その後も現役時代のほとんどをクリーンナップで過ごし、捕手としてはプロ野球史上最多となる通算8回のシーズン打率3割を達成。捕手という負担の大きなポジションでありながら、打者としても優秀なアベレージヒッターとしてチームを勝利に導きました。

そんな古田選手は、球場や相手投手によってバッティングを変え、投手心理を考慮し配球を読んでいたそうです。
また「バッティングに一番大切なのはタイミング」という独自の打撃論により、打撃フォームを固定しなかったことで、球を手元まで引き付けたバッティングと、前でさばくバッティングを使い分ける器用さも持ち合わせていました。

歴代捕手の通算打撃成績

古田敦也(18年)2097安打 打率.294 217本塁打

野村克也(26年)2901安打 打率.277 657本塁打

谷繁元信(27年)2108安打 打率.240 229本塁打

阿部慎之助(18年) 2085安打 打率.283 399本塁打

城島健司(14年)1406安打 打率.296 244本塁打

※()内は通算年数・城島選手はNPBのみの記録

歴代のそうそうたる捕手の中でも古田選手の残した記録は堂々としたものですね。また古田選手は2005年に「社会人出身選手」として初めての2000本安打を達成しています。

古田選手の捕手という能力を活かした頭脳的な打撃術は、いっけん地味だと思われていた捕手というポジションを、一気に「花形」に引き上げたのです。

キャッチングの巧みさとリード

古田選手のリードは自由な発想に溢れていました。
例えば投手に初球から決め球を要求したり、変化球を巧みに使い、ど真ん中のストレートで三振を取るなど、打者心理を読みながら虚をつくリードをするという特徴がありました。

その根底に流れているのは、常識を疑い、非常識も疑い、セオリーを疑う捕手の目。

現役時代にバッテリーを組んでいた高津臣吾選手は古田選手を、「いつも人が考えないようなことを考えている」と語り、当時誰も思いつかなかった、いわゆる“バックドア”の習得を勧めていたそうです。

そんな古田選手はキャッチャーミットにも特徴があり、親指が長く通常より一回り大きく設計されていました。

通常より大きなミットで捕球するといろいろなポイントで取れてしまうため、その後の送球動作に影響が出ます。
しかし古田選手はほぼ1点で捕球していて、ミットだけではなく身体全体を動かして捕球することで、アウトコースのきわどい球が、勢いに負けてボールゾーンへ流れてしまうことを防いでいました。

そして、身体全体を動かして捕球することは、古田選手最大の特徴である「圧倒的な盗塁阻止率の高さ」につながる重要な要素でした。

盗塁を阻止する技術

古田選手が考えていたのは、捕球してから送球動作に入るまでの時間短縮です。この時間を「ポップタイム」と呼びます。
捕球するときに構えた位置から手で球を取りに行くと、ミットは身体から離れていきます。すると、ミットから塁へ投げる右手までの距離も離れてしまうので、ここでポップタイムにロスが生まれます。
そのため古田選手は身体全体を動かし、なるべく身体の近くで捕球することで素早く右手に渡せるように備えていたそうです。

そして捕球後の足の運びにも工夫がありました。

古田選手の構えは股関節の柔らかさを活かし、左ひざを地面に付けたスタイル。その体制で捕球直前に左ひざを内側に入れ、捕球と同時に右足を前に出して送球しています。
この一連の動きを徹底することで、どんな体制で捕球しても素早く送球動作に入ることができ、力のある正確な送球が可能になるのです。

走者の二塁までの到達時間は、足の速い選手で3.2秒といわれています。この盗塁を阻止するために、投手は1.2秒台のクイックを、捕手は1.8秒台のポップタイムを目指します。多くのプロ野球捕手が1.9~2秒台で投げるのに対し、古田選手のポップタイムは平均1.8秒台。なおかつ二塁ベースの上20cmの正確な送球を心がけ、野手が走者にタッチするまでの時間も短縮していました。持ち前の強肩に加え、高い捕球・送球能力を徹底的に磨くことで、投手と共に高い盗塁阻止率を叩き出していたのです。

甲斐キャノンを凌駕する盗塁阻止率

たゆまぬ努力と研究で、古田選手は1992年に12人連続盗塁阻止を記録し、盗塁阻止率リーグ1位を通算10回達成しています。中でも1993年の盗塁阻止率.644は、現在も破られていない日本記録。そして2000年に2度目の盗塁阻止率6割超えを果たします。
4割を超えれば一流と言われる中、6割を超えたことがある選手はたったの2人。そして古田選手は6割超えを2度達成した、唯一の選手なのです。

90試合以上出場した年の年度別盗塁阻止率
1990年 .527
1991年 .578
1992年 .483
1993年 .644
1995年 .478
1996年 .400
1997年 .459
1998年 .441
1999年 .458
2000年 .630
2001年 .488
2002年 .423
2003年 .380
2004年 .259

2018年の日本シリーズで100%の盗塁阻止を見せた甲斐選手は、投手が投球動作に入った時に少し左足を前に出すことで、捕球と同時に送球する準備をしています。ポップタイムは平均1.8秒台。しかし盗塁阻止率は.447と古田選手には及ばず、クイックが遅いと言われているバンデンハーク登板時を除いても.515です。

甲斐選手の90試合以上出場した年の年度別盗塁阻止率
2017年 .324
2018年 .447

実際の盗塁阻止率は、クイックの速さなど投手によるところも大きいのですが、投手の技術が年々進歩していることを鑑みると、古田選手の長年に渡る盗塁阻止率の高さは、本人の努力なしでは生まれなかったように思えてならないのです。

戦う捕手・古田敦也選手

古田選手はプレーだけでなく、2004年のプロ野球再編問題では、プロ野球選手会会長として経営者側と正面から向き合います。苦渋の決断となった、日本プロ野球界初のストライキ決行での古田選手の涙は、プロ野球ファンのみならず、多くの日本人の心を揺さぶりました。その後の話し合いによりセ・パ12球団の維持が決定し、野球人気復興への足掛かりとなったのは、古田選手による功績が大きいと言われています。

ユニフォームを着てプレーしているときも、スーツを着て球界を守るときも、理想と確固たる意志を貫き、常識を疑い頭脳を働かせ、実現のための努力を怠らない。

引退して今もなお古田選手の人気が衰えないのは、そんなグラウンド内外で見せた「理想を実現するために戦う姿」に、心を動かされた人々が多かった証かもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です