不屈の闘志が魅せた奇跡!福浦和也選手の軌跡

2019年9月23日、福浦和也選手の引退試合がZOZOマリンスタジアムで行われました。

この日、球場前のホテルの窓は福浦選手の背番号「9」の形に照らされ、球場最寄りの海浜幕張駅職員や京成バス運転手までもが、福浦選手のユニフォームを着用。監督・コーチを含む選手全員が背番号「9」を着け、ストッキングを上まで上げるオールドスタイルで出場しました。

街をも巻き込む惜別ムードの中、鈴木大地選手会長の「福浦さんの引退試合で負けるわけにはいかない」の言葉にチームは最高の試合を誓い、その言葉に応えるように福浦選手のラストプレーには「野球の神様の奇跡」が起こります。

試合終了後に球場に舞った大量の紙吹雪は、どんな時も前を向き続けた「俺達の福浦」へファンからの感謝とリスペクト。そこには良い時も悪い時も共に乗り越えてきた、福浦選手とファンの絆がありました。

今回は、ドラフト最下位入団からロッテ一筋26年を貫き、ファンからと「千葉の誇り」と歌われる叩き上げのバットマン・福浦和也選手の野球人生をご紹介します。

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最下位指名・野手転向からの挑戦…福浦和也選手のプロフィール

選手名  
:福浦 和也(ふくうら かずや)

生年月日 
:1975年12月14日

身長体重 
:183cm・88kg

ポジション
:一塁手

投球・打席
:左投左打

経歴   
:習志野高→千葉ロッテマリーンズ

受賞歴  
:首位打者1回・ゴールデングラブ賞3回・ベストナイン1回・2000本安打

千葉で生まれ、野球名門校・習志野高ではエースとして活躍しながらも高校通算20本塁打を記録した福浦和也選手。1993年ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズに投手として指名を受けます。この時の指名順位は7位。12球団を通して最後の指名となる、最下位指名での入団でした。

そんな福浦選手はルーキーイヤーの1994年、入団してすぐに肩の故障を発症します。ドラフト順位を鑑みればそれほど期待の高くない順位、その上で肩の故障を発症し、当時の山本功児二軍打撃コーチからの野手転向の勧めに福浦選手は焦ります。

しかし山本コーチは福浦選手の打撃の才を見出していました。新たな挑戦への不安の中、福浦選手は野手転向を受け入れ、3年間二軍で守備と打撃を徹底的に鍛えられます。そして4年目となる1997年に初の一軍昇格。その年の後半は3番・一塁手としてレギュラーに定着しました。

千葉の安打製造機誕生!福浦和也選手の打撃成績

福浦和也選手が不動の3番打者として定着した1998年、チームはNPBワースト記録となる18連敗を喫します。ほぼ1ヶ月勝てない状況にいた福浦選手は、この時の悔しさは一生忘れられないと語ります。そしてこの時、うつむきながら球場を後にする選手たちを待っていたファンからの応援歌や「マリーンズ、俺たちがついてるぜ」と書かれた横断幕も、一生忘れることはないと語ります。

この時の思いが福浦選手をよりストイックに、自身の記録より貪欲に勝利を求めるスタイルへと繋がっていくのです。

そして福浦選手は2001年、初のタイトルとなる首位打者・初の二桁本塁打を記録します。盗塁0で首位打者を獲得したのはNPB史上初。そしてこの年より6年連続打率3割を達成します。

2003年には自身最高記録となるシーズン172安打・21本塁打・76打点を記録。172安打は当時の球団史上3位の記録です。他にもこの年は歴代2位となる50二塁打と初のゴールデングラブ賞を獲得。翌2004年はNPB史上初の3年連続40二塁打を記録しました。

二塁打 歴代最高記録(シーズン記録)

1位 谷 佳知 (オリックス)
52本(2001年)

2位 福浦和也 (ロッテ)
50本(2003年)

3位 クラーク (近鉄)    
48本(1998年)

4位 マギー  (巨人)    
48本(2017年)

5位 山内和弘 (毎日)    
47本(1956年)

5位 福留孝介 (中日)    
47本(2006年)

そして2005年、福浦選手とファンが待ち望んだ瞬間が訪れます。プレーオフを勝ち抜きチームの31年ぶりのリーグ優勝を叶えたのです。阪神タイガースとの日本シリーズでは、第3戦に自身初となるシリーズでの満塁ホームランを放ち、リーグ2位からの日本シリーズ優勝を果たしました。

以降、故障に苦しみつつも、2006年にFA権取得、2007年は3度目のゴールデングラブ賞を獲得。2010年は代打の切り札として活躍し、クライマックスシリーズを勝ち抜いて2度目のリーグ優勝に輝きました。そして中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、「史上最大の下剋上」と呼ばれるリーグ3位からの奇跡の優勝を成し遂げ、指名打者部門でベストナインを獲得しました。

努力の果ての金字塔 福浦選手の特徴

パ・リーグで2度のシーズン最多二塁打や史上初の3年連続40二塁打を記録した福浦和也選手ですが、特に足が速いわけではありません。球史に残る二塁打を量産できたのは、卓越した打撃術。ボールを捉える技術・広角に打ち分けるバットコントロールは天性のものがあると言われていました。

福浦選手は打撃について、股関節とタイミングを意識していると語っています。

バッティングフォームは左わきを広く開け、バットのヘッドが投手へ向く独特のフォーム。耳のそばをバットが通るほどポイントへの軌道はコンパクトで、後方から前方へスッとヘッドを走らせる縦の動きが特徴です。足の上げ幅が小さいのは、体重を後ろにかけすぎず踏み込んだ右足に体重を移しながら、軸を崩さずにスイングするため。股関節の柔らかさもあり、投手時代に培った自然な体重移動が打者としての体重移動にも活かされています。

タイミングについては独特の感覚を持っていて、通常バックネットに飛ぶファールはタイミングがあっていると言われますが、福浦選手にとっては微妙に振り遅れている感覚だと語ります。通常の打者よりほんの一瞬早くコンタクトするため、グリップの位置をよりトップに近いところにひきつけ、足の上げ幅は小さく膝を柔らかに使い、コンパクトにスイングする形になっているのです。

基本的に福浦選手のフォームは大きく変わらない様に見えますが、2012年以降は故障の影響で出場機会も減り、自身の打撃についてよりストイックに取り組みます。そして迎えた2018年9月、ついに球団3人目となる2000本安打を達成しました。

42歳9ヶ月での達成はNPB史上2番目の年長記録。達成までの2234試合という道のりも、歴代3位の多さです。特に1500安打を達成してから2000本安打までの9年間は、故障と戦い続けた辛い日々でした。

ドラフト会議で12球団最下位指名の投手として入団した頃、誰がこの偉業を思い描けたでしょうか。千葉に生まれ育ち千葉の球団へ入団して25年、たどり着いた金字塔は福浦選手の応援歌「千葉の誇り」というべき大偉業なのです。

福浦和也選手 通算記録

2235試合(球団記録) 2000安打 打率.284 118本塁打 935打点

78犠飛(球団記録・NPB歴代12位)

95死球(球団記録・NPB歴代25位)

サヨナラ安打12本(球団記録)

10盗塁(2000本安打達成者の中で最低数)

また、語られることの少ない福浦選手の守備ですが、ゴールデングラブ賞を3度受賞した一塁守備の名手でもあります。正確な送球と送球を受けるハンドリングには定評があり、守備時における選手の貢献度を数値化した「RF」では、2000年代の一塁守備の中で常に高い数値を記録しています。

一塁手と言えば外国人選手のポジションのように思われますが、李承燁選手など強打者とのポジション争いに勝ち抜くことができたのは、巧みな打撃と一塁守備力の高さが評価されたものと言えるでしょう。

野球の神が舞い降りた…福浦和也選手のラストプレー

引退試合を受け、福浦選手にはひとつだけ決めていたことがあったそうです。それは「初級は振らない」ということ。ロッテの応援と言えば、地鳴りのように響く熱い応援が印象的です。福浦選手はそんなファンからの応援歌を、最後に打席でしっかり味わいたかったと言います。

この日は残念ながら4打数無安打に終わりましたが、指名打者が解除され最後の一塁守備についた9回に、ドラマが待ち受けていました。9回二死走者一塁の場面で、思い切り引っ張った打球は一塁へ。ライナー性のあたりを福浦選手が横っ飛びで捕り、現役最後の3アウト目を自らのミットにおさめました。劇的な幕切れに球場内からは万雷の拍手と大歓声。12球団で最も美しいと言われる福浦選手の応援歌が鳴り響き、福浦選手の周りに歓喜の渦が巻き起こりました。

引退セレモニーでは、西武2軍監督の松井稼頭央監督・元巨人監督の高橋由伸氏・今季シーズン途中に引退した上原浩治氏など同世代の選手、ロッテOBからは共に優勝を勝ち取ったベニー・アグバヤニ氏・里崎智也氏、弟のように可愛がっていた大松尚逸氏、兄のように慕うサブロー氏など、同じ時代を戦ってきた元選手からのメッセージが届きました。

ドラフト最下位指名からの現役生活26年は、ファンの声援を力に変えて仲間と共に努力を続けた26年。「幸せな野球人生でした」と感謝を送る福浦選手は、まるで生まれ育った街に見送られるように現役生活に別れを告げ、これからも歩み続けることでしょう。

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