【歴代】外国人助っ人 通算勝利数ランキング【NPB】

どうもマツローです!

時にはチームの柱として開幕投手を務めることもある助っ人外国人投手。

助っ人外国人投手が先発ローテーションをしっかり守って勝ち星をあげれば優勝はぐっと近づきますよね。

今回はそんな歴代外国人投手の通算勝利数ランキングをご紹介したいと思います。

スポンサーリンク

外国人助っ人通算勝利数ランキング!

1位 ヴィクトル・スタルヒン 303勝
2位 郭泰源 117勝
3位 郭源治 106勝
4 ジョー・スタンカ 100勝
4 ジーン・バッキー 100勝
6 ランディ・メッセンジャー 98勝
7 ジェイソン・スタンリッジ 75勝
8 ミンチー 74勝
9 荘勝雄 70勝
10 ジェレミー・パウエル 69勝

1位:ヴィクトル・スタルヒン(303勝)

スタルヒン選手は日本選手初の外国人産まれの野球選手。戦時中は須田博(すたひろし)という日本名を得ています。

幼少期にロシアから亡命して北海道の旭川に移住した経験を持ち、外国人などほとんど住んでいなかった当時の日本では差別にあったことも多かったようです。

また、学生時代には父親が殺人事件を起こしており、経済的にも厳しい生活を強いられます。

しかし、学生時代のスタルヒンは既に野球の実力では有名であり、全日本選抜に選ばれるなど野球が彼を救ったと言われています。

1939年にはシーズン42勝を記録し、日本人も含めてNPB初の300勝を達成した投手で、初のノーヒットノーランも達成しています。

偉大な功績を称え、旭川市営球場にはスタルヒンの銅像が建てられ、スタルヒン球場という愛称で親しまれています。

2位:郭泰源(117勝)

郭泰源選手は台湾出身の投手です。ロサンゼルスオリンピックではチャイニーズタイペイの銅メダル獲得に貢献。メジャーも注目するほどの逸材でした。

その後西武に入団し、一年目の4月は2勝0敗防御率0.32でいきなり月間MVP。6月にはノーヒットノーランを達成しました。

郭泰源はオリエンタル・エクスプレスと呼ばれ、スリークォーターから繰り出される最速158km/hの速球が最大の特徴です。

また、変化球・制球力も良く完成度が高い投手です。

西武で13年間活躍し、通算117勝68敗、通算防御率3.16と好成績を残しました。

タイトルは最高勝率2回、自身最多の15勝をあげた1991年にはMVPも獲得しています。

引退後はソフトバンクの投手コーチを務めるなど、引退後も日本のプロ野球に貢献しています。

3位:郭源治(106勝)

郭源治選手は中日で活躍した台湾出身の投手です。

ストレートの最速は151 km/h、スライダー、シンカー、フォークボール等を持ち球にしていました。

身体能力が高いため、バッティングや守備も巨人戦で槙原寛己投手からサヨナラホームランを放ったこともあります。

通算勝利数は106勝。当時の中日の抑えを務めていた牛島和彦が落合博満とトレードされたこともあり、抑え投手を務めている時期もありました。

抑え投手としても力を発揮し、セーブも116セーブ上げています。

郭源治は1981年に日本のプロ野球に入団しており、台湾出身プロ野球選手の先駆者と言えるでしょう。

その後郭泰源も1985年にNPB入りしており、郭源治の活躍があったから同じく台湾出身の郭源治の評価も高まったと言われています

なお郭源治と郭泰源に血縁関係はありません。

郭源治は中日の外国人枠を利用しないことと、子どもの生活のために日本に帰化していますが、出身地である台湾への想いも強く晩年は出身地の台湾にプロ野球でも活躍しました。

4位:ジョー・スタンカ(100勝)

スタンカ選手は主に南海ホークスで活躍した助っ人外国人投手です。

スタンカが来日した1960年は日米の野球のレベル差が大きく、2試合の登板ながらメジャーでの経験があり、3Aクラスでも活躍している投手が来日することは珍しいことでした。

長身から投げ下ろす速球は威力抜群で、スタンカは1年目から実力を発揮し、来日1年目の1960年から17勝。

1964年には自身最多の26勝をあげ、MVPを獲得するなど大活躍しました。

日本シリーズでも3試合で完封と驚異的な活躍をしており、1964年のプロ野球の主役は間違えなくスタンカであったと言えます。

長身でマウンドに立ちはだかる様子から「赤鬼」というニックネームがつけられていました。

4位:ジーン・バッキー(100勝)

バッキー選手は主に阪神で活躍した助っ人外国人投手です。

テスト入団という経緯もあり、入団当初のバッキーはただ球が速いだけでコントロールは悪く完成度の低いピッチャーでした。

しかし、球の威力に比類なものを見た藤本監督が「磨けば光る」と獲得を決めました。

入団後、バッキーは猛練習しコントロールを身に着け変化球の精度も磨きました。

不規則な変化をするナックルボールも得意な球としていました。

成長したバッキーは1964年には29勝9敗防御率1.89と好成績を残し、外国人初の沢村賞を受賞するなど大活躍しました。

その後は活躍を続けましたが、王貞治への危険球を発端とする乱闘で右手を骨折。

さらに復帰後に腰痛を発症するなど、怪我に苦しみ近鉄に移籍した1969年は0勝7敗と1勝もあげることができず、そのまま引退することになりました。

阪神ファンの間では大活躍した選手として人気があり阪神でプレーしたジム・パチョレックもバッキーの活躍にあやかり、「バッキー」という愛称がつけられています。

6~10位のランキング

6位:ランディ・メッセンジャー(98勝)

7位:ジェイソン・スタンリッジ(75勝)

8位:ミンチー(74勝)

9位:荘勝雄(70勝)

10位:ジェレミー・パウエル(69勝)

まとめ

今回は日本で活躍した助っ人外国人投手についてご紹介しました。

現在のプロ野球ではスタルヒンのような300勝以上の投手が現れることはないでしょう。

100勝が確実視されていたランディ・メッセンジャー選手も98勝で2019年に現役を引退してしまいました。

今後も助っ人外国人投手の活躍はプロ野球のリーグ戦を大きく左右します。

長年活躍する投手が登場してくれると嬉しいですね。

※こんな記事も書いています。

【歴代】外国人助っ人 通算安打数ランキング【NPB】

2020年1月26日

【歴代】外国人助っ人通算ホームラン数ランキング【NPB】

2020年1月26日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です