【プロ野球】1990年代ベストナイン【世代別ベストナイン】

どうもマツローです。

平成初期の1990年代はプロ野球界にとって数々の個性的なスター選手が誕生した時代でもあります。

この年代からメジャーに挑戦する選手も多く現れ、日本のスター選手が世界でも通用することを証明しました。

それでは1990年代に活躍した、記録にも記憶にも残るベストナインをご紹介します!

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プロ野球1990年代ベストナイン(野手)

1番(右) イチロー

日本のリーディングヒッターといえばやはりこの人イチロー選手。

ドラフト4位入団ながら仰木彬監督に才能を見出されすぐに一軍で活躍しました。卓越したバットコントロールと俊足で安打を量産。

守備でも広い守備範囲とレーザービームと称される強肩ですぐに日本を代表するスター選手となりました。

日本人野手はメジャーでは通用しないと言われた時代にメジャーでも大活躍し、2004年にはメジャー記録となるシーズン262安打を達成しました。

通算成績(MLB)=
3,089安打、117本塁打、509盗塁、打率.311

通算成績(NPB)=
1,278安打、118本塁打、199盗塁、打率.353

キャリアハイ(2004年:MLB)=
262安打、8本塁打、60打点、36盗塁、打率.372

2番(遊) 野村 謙二郎

赤ヘル軍団のスター選手としてトリプルスリーも達成した野村さんですが、入団した当初は俊足を持ち味としながらも線が細く非力な印象でした。

しかし、トレーニングを重ね、徐々にホームランも打てるようになりトリプルスリーを達成するまでになりました。

90年代は1.2番はなるべく球を見て粘ることが求められていましたが、野村さんは甘い球が来れば初球からでも積極的な打って出て現在に繋がる攻撃的1.2番の先駆者でもあります。

通算成績=
2020安打、169本塁打、250盗塁、打率.285

キャリアハイ(1995年)=
173安打、32本塁打、75打点、30盗塁打率.315 ※トリプルスリー

3番(左) 松井 秀喜

ゴジラの愛称親しまれた松井選手。

甲子園での五打席連続敬遠で時の人となり、巨人にドラフト1位で入団しました。

入団後はその才能をさらに開花させ日本だけではなくメジャーリーグでも活躍、ヤンキース時代には日本人初のワールドシリーズMVPも獲得しました。

通算成績(MLB)=
1,253安打、175本塁打、打率.282

通算成績(NPB)=
1,390安打、332本塁打、打率.304

キャリアハイ(2002年)=
167安打、50本塁打、107打点、打率.334

4番(一) 清原 和博

桑田さんと出場した甲子園では全国制覇を成し遂げスター選手として西武にドラフト1位で入団。

入団1年目から31本のホームランを放つなど活躍しました

外角の球に滅法強い反面、内角の球を苦手としていたため内角を責められることが多く、歴代最多の死球数196を保持しています。

死球の数はそれだけ、厳しい攻めをされたという強打者の証でもありますね。

勝負強い打撃にも定評があり、サヨナラヒットは歴代1位の20本も放っています

通算成績=
2,122安打525本塁打、打率.272

キャリアハイ(1990年)=
134安打、37本塁打、94打点、打率.307

5番(DH) 落合 博満

落合選手は3冠王を歴代最多の3度も獲得した天才的なバッターで、トレードマークの神主打法でゆったりとした構えでどんなコースでも打ち返します。

右方向への強い打球が特徴で、その打球の凄さは右打者でありながら“右方向に引っ張っている”とも言われていました。

その証拠に通算510本塁打のうち176本を右方向に放っています。

また選球眼がよく四球を選ぶ能力が高いため、通算出塁率は.422を誇り、1986年に記録した出塁率.487はプロ野球記録としていまだ破られていません。

通算成績=
2,371安打510本塁打、打率.311

キャリアハイ(1985年)=
169安打、52本塁打146打点打率.367 ※三冠王

6番(二) ロバート・ローズ

1998年の横浜ベイスターズ優勝の立役者となったローズ選手。

マシンガン打線と呼ばれたつながりのある打線の中で確実性もあり、長打力もあるローズは他球団からは相当な脅威でした。

外国人としては珍しい二塁の守備も華麗で攻守両面でチームを支えた優良助っ人で、1999年の153打点はプロ野球歴代2位の記録です。

通算成績(NPB)=
1,275安打、167本塁打、808打点、打率.325

キャリアハイ(1999年)=
192安打、37本塁打、153打点、打率.369

7番(三) 江藤 智

1993年、1995年にはホームラン王を獲得し、1990年代屈指の和製大砲として活躍した江藤選手。

元々は捕手として入団した江藤さんですが、肩を故障したことと非凡な打撃力を生かすために内野手に転向。

その後は広島の主砲として大活躍しました。

ホームランバッターのイメージが強い選手ですが足も早く、1995年には14盗塁を決めています。

通算成績=
1,559安打、364本塁打、打率.268

キャリアハイ(1995年)=
132安打、39本塁打、106打点、打率.286

8番(中) 秋山 幸二

西武黄金時代の中心選手として活躍した秋山選手。

身体能力が非常に高く、長打力がある上に、足が速く、肩も強かったため当時“メジャーリーグに一番近い男”と言われていました。

元々は三塁手として入団しましたが、俊足と強肩を活かすために外野手に転向しセンターに定着しました。

トリプルスリー達成経験もある走攻守全てのレベルが高い選手です。

通算成績=
2,157安打、437本塁打、303盗塁、打率.270

キャリアハイ(1989年)=
144安打、31本塁打、99打点、31盗塁打率.301 ※トリプルスリー

9番(捕) 古田 敦也

野村ID野球の申し子としてヤクルトの黄金時代を支えた古田選手。

自慢の強肩で高い盗塁阻止率を誇り、打者としても首位打者を獲得するなど球界を代表する捕手として活躍しました。

捕手でありながら2000本安打も達成し、プロ野球の歴史においても屈指のキャッチャーです。

古田選手はキャッチングにも定評があり、ボール気味の球をストライクに見せる技術は一級品でした。

通算成績=
2,097安打、217本塁打、打率.294

キャリアハイ(1992年)=
150安打、30本塁打、86打点、打率.316

プロ野球1990年代ベストナイン(投手)

先発 斎藤 雅樹

斎藤投手は巨人一筋で活躍した先発型の投手です。

サイドスローから放たれる威力抜群のストレートと鋭く曲がるカーブで打者を翻弄しました。

平成最初の沢村賞投手となったことからも平成の大エースとも称されました。

また完投が非常に多く、1989年には日本記録の11試合連続完投勝利を記録しています。

通算成績=
180勝96敗、防御率2.77、1,707奪三振

キャリアハイ(1989年)=
20勝7敗、防御率1.62、182奪三振 ※沢村賞

中継 赤堀 元之

赤堀投手は近鉄でリリーフ投手として活躍した選手です。

コントロールが良く、外角低めに決まる150km/h近いストレートと縦に落ちるスライダー、横に滑るスライダーの2種類を投げ分けてパ・リーグの強打者を抑えました。

あのイチロー選手にも打率.160しか打たせておらず、いかに打ちづらい投手であったかがよくわかります。

通算成績=
58勝45敗、139S、防御率2.88、590奪三振

キャリアハイ(1992年)=
11勝4敗、22セーブ、防御率1.80、88奪三振

抑え 佐々木 主浩

佐々木投手はハマの大魔神として守護神を務め、横浜ベイスターズの優勝に大きく貢献しました。

代名詞とも言える鋭いフォークは分かっていても打てないと言われ、平成の強打者達をきりきり舞いにしてきました。

佐々木さんのフォークはメジャーでも威力を発揮し、「DAIMAJIN」の愛称で親しまれました。

抑え投手として名球会入りを果たした初めての人物であり、日本プロ野球史を代表するクローザーです。

通算成績(MLB)=
7勝16敗、129S、防御率3.14、242奪三振

通算成績(NPB)=
43勝38敗、252S、防御率2.41、851奪三振

キャリアハイ(1998年)=
1勝1敗、45S、防御率0.64、99奪三振

戦力評価※(筆者の独断です)

攻撃力

守備力

機動力

投手力

1990年代のベストナインをご紹介しました。

1990年代は後に伝説的な選手となるイチローが活躍し始めた年代です。

また、メジャーに挑戦する選手も増えて、日本のプロ野球のレベルが飛躍的に向上した年代だったのではないでしょうか。

投手も分業制が進んだことで、佐々木主浩さんのような絶対的な抑え投手が優勝を左右するようになったのも興味深いですよね。

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