走れて守れる史上最高のスラッガー!ケングリフィーJrとはどんな選手だった?

どうもマツローです。

今回はMLB屈指の“5ツールプレイヤー”であるケングリフィーJr選手について書いていきます。

まずはケングリフィーJrのプロフィールを簡単に紹介しましょう。

スポンサーリンク

ケングリフィーJr選手のプロフィール

本名:George Kenneth “Ken” Griffey, Jr.
出身地:アメリカ合衆国 ペンシルベニア州
経歴:シアトル・マリナーズ (1989 – 1999)
シンシナティ・レッズ (2000 – 2008)
シカゴ・ホワイトソックス (2008)
シアトル・マリナーズ (2009 – 2010)
投打:右投右打
守備位置:外野手・指名打者

ケングリフィーJrは、本塁打王を4度も獲得し、通算で630本もの本塁打を放った、メジャーリーグを代表するスラッガーです。

2016年には史上最高の得票率で野球殿堂入りも果たしており、シアトル・マリナーズはケングリフィーJrがつけていた「24」の背番号を永久欠番としています。

ケングリフィーJrのプロキャリアを振り返る

ケングリフィーJrは1987年にドラフト1位でシアトル・マリナーズに入団し、1989年にメジャーデビューしました。

19歳4か月という異例の若さでしたが、初打席で2塁打を放つなど活躍し、ルーキーイヤーのシーズンは打率.264・16本塁打・61打点の成績を残しました。

2年目の1990年はセンターのレギュラーを獲得します。当時、父のシニアはまだ現役選手でしたが、8月にマリナーズに移籍した影響で8月31日に親子でスターティングメンバーに名を連ねました。さらに9月14日には親子で2者連続本塁打という離れ業も成し遂げています。

1991年からは2年連続の3割20本塁打100打点を記録し、1993年には45本の本塁打を記録し、本塁打数が飛躍的に伸びました。翌年の1994年も40本の本塁打を放ち、本塁打王を獲得しています。

1995年は守備中に負傷した影響もあり、72試合の出場に留まり、不本意な成績となりましたが、負傷前のプレーが評価されて、ゴールドグラブ賞を獲得しました。

1996年からはさらに本塁打を量産し、1997年から1999年にかけて3年連続で本塁打王を獲得。

2000年シーズンからはシンシナティ・レッズ に移籍しました。2000年には当時で史上最年少の30歳4か月で通算400本塁打を達成、移籍1年目は打率.271・40本塁打・118打点を記録しました。

2001年シーズンは足を痛めて111試合の出場に終わり、翌2002年も怪我で70試合、2003年は53試合、2004年は83試合の出場で終わるなど怪我に苦しむシーズンが続きます。この頃には右足に3本のボルトが入った状態になりました。

そのような状況で迎えた2005年シーズンでしたが、128試合で打率.301・35本塁打・92打点の好成績を残し、カムバック賞を受賞しました。2008年には史上6人目となる通算600本塁打を放っています。

2008年はシーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍した後、シーズンオフに古巣シアトル・マリナーズに復帰しました。

2009年シーズンは主に指名打者として出場しますが、打率.219、19本塁打、57打点という成績に終わり、翌2010年シーズンに引退しました。

ケングリフィーJrは何がすごかったのか?能力について解説

ケングリフィーJrは、通算本塁打数が600を超えるスラッガーですが、走攻守そろった選手として活躍しました。

センターの守備位置でゴールドグラブ賞を10年連続で獲得し、盗塁も毎年15個~25個程度を記録していたのです。

しかし、長年人工芝のフィールドで駆け回っていた影響で下半身に多大な負担がかかってしまい、後年は下半身の怪我に苦しむこととなってしまったのが不幸な点だと言えます。

また、多くのスラッガーがステロイドを使用した時代であったにも関わらず、そのような疑惑さえ起こさずにクリーンな状態なままでカムバック賞を受賞した点もケングリフィーJrがリスペクトを集める要因となっています。

これらの事実は、ケングリフィーJrが史上最高の得票率で野球殿堂入りした要因にもなっているのです。

ケングリフィーJr選手のプレー集が以下の動画になります。引き締まった体から繰り出される華麗なホームランはまさに「史上最強の5ツールプレイヤー」と呼ばれる所以なのでしょうね。

ケングリフィーJrの通算成績と表彰

最後にケングリフィーJrの通算成績を紹介します。

実働:22年

2671試合 打率.284 630本塁打 1836打点 2781安打 184盗塁

本塁打王 4回 (1994年、1997年-1999年)

打点王 1回 (1997年)

ゴールドグラブ賞 10回 (1990年-1999年)

ナショナルリーグカムバック選手 (2005年)

ケングリフィーJrは通算350・400・450号本塁打到達年齢が当時は史上最年少でしたが、その後は怪我に悩まされたシーズンも多く、通算本塁打数の更新には至りませんでした。

また、史上最年少の記録も後にアレックス・ロドリゲスによって更新されています。

まとめ

ケングリフィーJrのように類まれな長打力を持ちながらも守備走塁にも優れた選手というのはなかなか出てくることはありません。近年でいえば、アレックス・ロドリゲスは後継者と言えるような存在だったのかもしれません。

またケングリフィーJrやバリー・ボンズのような走攻守揃った素晴らしい野手が現れることを期待しましょう。

※他にこんな記事もあります。

メジャー最高の本塁打王!バリー・ボンズの通算成績と特徴を解説

2018年11月23日

メジャー最高の奪三振王!ランディ・ジョンソンの通算成績と特徴を解説

2018年11月22日

ヤンキースの「ザ・キャプテン」ジーターの凄さとは?通算成績とエピソードを解説

2018年11月18日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です